私が開院した理由

きっかけは高校時代のケガ・・・

 私も多くの治療院の先生方と同じく、自分が怪我をして治療院に
 通ったのがこの仕事を志したキッカケです。

野球2

 私は根っからの野球少年。

 中学卒業後、当然のように甲子園を目指して、当時県内最多の
 出場回数を誇っていた隣町の高校へ進学しました。

 当時の練習は現在と違い、「質より量」「理論より気合」。

 投手の練習もしていた私は、バッティングピッチャーや
 ピッチング練習で毎日のように100~200球投げるのが
 当たり前でした。

 そんな中、練習試合で先発を任され、やる気満々で登板しましたが、
 気合が空回りしコントロールを乱し途中降板・・・

 そして、降板後も投球練習を命じられ再びブルペンで投球を始めた時、

 「ビリッ!!」

 肘に電気が流れるような強い痛みが走りました。

10mのキャッチボールも出来なくなり

 初めて経験する痛み。

 しかし、当時は「痛いから練習を休む」という概念すらない時代。

 時々治療を受けてはいましたが、痛みをごまかしながら練習を続けていました。
 
 その結果、完全に投球フォームがおかしくなってしまい、肘が治った後でも
 思うようにボールを投げることが出来ず、最終的には、「スローイングイップス」
 という投球障害に陥ってしまいました。

 10m~20mの近い距離で暴投を繰り返す毎日。
 指導者にはその度に怒られましたが、当の本人はどうしたらいいのか全くわからない。
 その当時は、朝が来るのが怖くなってしまったほどでした。
 (今でも子供とキャッチボールをする際に影響がでます・・・)

野球1

 
 その後、外野手として試合に出ることはできましたが、

 「最初に勇気を出して休んでおけば・・・」
 「あの時にきちんと治療しておけば・・・」

 という気持ちは、引退した後も頭の中から離れませんでした。

治療家の道へ

 高校卒業後、大学へ進学。
 就職活動の時期が近づき、自分が何をしたいのか考えた時に、
 高校時代の経験から
 
 「同じ経験をする人をひとりでも少なくしたい」

 と思い、治療家への道を進むことを決意しました。
 

仕事と学業の両立~治療院勤務時代

 知人の紹介に紹介してもらった治療院で夕方まで働きながら、
 夜間の鍼灸学校に通う毎日がスタートしました。

 帰宅は夜11時頃。クラスメイトには優秀な人が多く、
 テスト期間は夜中まで机に向かう毎日でした。

 大変な時期でしたが、当時はまだ20代。体力も十分にありました。

テーピング

 自分と同じような高校球児を診させていただいたり、
 全国レベルの大学サッカー部や高校女子サッカー部、
 高校バスケットボール部のチームに同行したり、様々な
 経験をさせてもらったのもこの時期です。

 その後、何とか国家試験も合格し都内の治療院での勤務を
 始めました。

 運動部の学生やスポーツ選手が多かった以前の治療院と違い、
 患者さんはほとんど一般の方の治療院。

 ここでの経験を積むうちに、スポーツ選手の治療に偏っていた私の考えに、

  • 「痛みで困っているのはスポーツ選手だけではない。」
  • 「痛みで困っている人はもっとたくさんいる。」
  • 「鍼灸治療は、そういう人達のためにもっと役に立てる。」

 という変化が生まれてきました。 

やるなら地元で~そして現在も

 そんな思いを抱き、2009年6月に故郷である岩手県九戸村に開院。

 過疎化が進み鍼灸治療に対する認知度も低く、アクセスも決していい場所とは
 言えませんが、以前から「やるなら地元で」と考えていました。

治療室1

 現在は、開院当初より「身体にやさしい」治療法
 を取り入れ、幼児からお年寄りの方まで、様々
 な年代の患者さんへ治療を行っています。
 
 治療家という仕事にゴールはありません。

 お身体の悩みで苦しんでいる人が、一人でも
 多く楽になること。
  
 みんなが健康で快適な毎日を過ごせるように
 なること。
 
 その結果が、地域の活性化にも貢献することになります。

 そのために自分の理想の治療院を目指し、何年たってもより良い治療が
 出来るように、そして、「本当によくなりたい人」のために日々施術しています。

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